左心房

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【映画】ダ・ヴィンチ・コード〜シラスロスト〜【感想】

先日、テレビ(金曜プレミアムだったかな)にて放送された映画『ダ・ヴィンチ・コード』を録画で観ました。

 

親がキリスト教文化や西洋美術を好きで『ダ・ヴィンチ・コード』は映画館へ一緒に観に行ったんですが、いかんせん昔のこと+当時アニメ映画くらいにしか興味がなかったので今の私は内容をほとんど覚えておらず、かなり新鮮な気持ちで観られましたね。

どれくらい覚えていなかったかと言うと、キャラとしてパンチ力抜群なシラスをさっぱり覚えていなかったくらい。

というか、主人公のおじさんがなんやかんやあって最終的にルーブルに戻って来ることしか覚えてませんでした。最大のオチをしっかり視覚的に覚えていたわけですが、それまでの経緯とかそもそも「聖杯」というキーワードすら初耳レベルだったので、本当に新鮮な気持ちで。

あとは何故か浮浪者からテーブルとそこに居座る権利を買い取ってたシーンの見覚えがあったかな笑

 

で、今回一緒に観た姉はよく分からん状態だったのですが、私は姉よりは映画慣れしていたおかげかとにかく話の筋を追うには困りませんでした。

話の進行はめちゃくちゃハイテンポということもなく、知識もシオン修道会やらテンプル騎士団やら作中で説明してくれるので、最低限なにをヒントに謎解きしているのかは私の足りない脳でもなんとか理解出来ましたし。良かった良かった。

ただこれは鑑賞後にいろいろレビューを読んで知ったのですが、原作ではかなり深く掘り下げられていた人間ドラマ的な部分が映画ではほとんど駆け足ですっ飛ばされていたそうで。確かに謎解き冒険ものとしては面白かったけど、キャラクターへの感情移入などはほとんどありませんでしたね。

する必要もない映画だったと思います。

 

ただひとり、シラスを除いて。

 

以下、延々シラス語り。

 

彼はわりと序盤の方に生い立ちをだいぶはしょってですが明かされるため、ただの狂信者ではないのだろうなという前提でずっと行動を追うことが出来ました。

 

あの図体であの顔立ちでアルビノで、行動のせいもありましょうが佇まいからして異様だったので、おそらく故郷では怖がられたり疎まれたりして育ったのでしょう。そして彼の父親が荒れていたのはもしかしたら彼の見た目や立場のせいだったかもしれない。

泥酔して暴れる父親を止めようと、母親を守ろうと若き(幼き?)シラス少年は咄嗟に父親をナイフで刺し殺してしまう。

父親の最期の言葉「お前は幽霊だ」に罪の意識はマックス。ただでさえ可哀想な境遇にいたのに、あんまりだ……。

 

そんなシラスに手を差しのべ立ち直らせてくれた(その立ち直り方は少々狂気的でしたが)のがアリンガローサ司教様。

全身傷だらけで、あの図体でありながらティービングに杖でどつかれたくらいで倒れてしまう程に弱っていたシラスを見るとなんちゅーことをさせてんだ(あるいはシラスはなんちゅーことを自分にしているんだ)とも思ってしまうのですが、どうやら彼らが属するオプス・デイでは肉体的な苦行をよしとしている?らしいですし、敬虔すぎるシラス的には普通のことだったのやも。

というか、あそこまでどっぷり依存しないと立ち直れなかったシラスが、もう可哀想でなりませんでした。

 

彼は自分を救ってくれたアリンガローサ司教を本当に信じて慕っていて、信じる人と信じる宗教のためにソニエール達を殺して回っていたわけです。

言わば聖戦に身を投じていたわけです。一般の感覚でいくと、だからって許されるわけじゃないんだけども。

でも、シラスにはもう宗教とアリンガローサ司教しかなくて、敬虔なキリスト教徒である彼からしたら自らこの世をドロップアウトすることは出来ないのですから、この世=宗教から逃れるという選択肢もなくて、どうしようもないから自分を神のメッセンジャーだとして動いていたわけです。

 

しかも多分、自分を神のメッセンジャー、天使だとは本気では信じられていない気がします。父親に言われた「お前は幽霊だ」のショックが強すぎて。

レミーにお前はもういいよくやったと言われたとき、愕然としてましたからね。まだ仕事は終えていないと。仕事を途中で投げ出してしまっては、神のメッセンジャーにはなれない。天からの使いなのだから、最後まで自分がやりとげなければならない。

逆に言うと、最後まで自分の手でやりとげられなければ彼は自分をアリンガローサ司教にの天使として認められない。司教が天使だと言ってくれたから自分は父殺し・強盗殺しを正当化できていたのに、司教の言う通りにして司教に認められなければ、また殺人犯に成り下がってしまう。

まあそれもレミーに言いくるめられて大人しくするわけですが。

 

なんとなく、シラスにとってはアリンガローサ司教>神だったんじゃないでしょうか。キーストーンを奪った後の、車内でのレミーとのやりとりを見た感じでは。

 

司教がキリスト教・キリストの神性を守るためと指示を出したから頑張る

レミー「エゴによって遂行が妨げられることがあってはならない(台詞うろ覚え)」

自分のエゴでこの任務が失敗し、キリストの神性が失われたら、司教様が悲しむ

本当に正しい選択は、司教様の望むことを叶えるために臨機応変に動くこと

レミーは導師なのだから、自分がひとりでキーストーンの謎を解くより確実なはず

 

的な。

キリストの神性を守るために司教の言うことをきくというよりは、司教が信じるキリストの神性を守るために頑張るって感じがしました。あと、自分もキリスト教を信じているし。

 

シラスはとにかく誰かに自分はいてもいい人間なんだと認めてほしかったんだと思います。

オプス・デイ宿舎に到着したとき、車内でレミーに頭を下げるシラスはまるで小さな子が「頑張ったから撫でてほしい」と言っているように見えました。そりゃ、普通に挨拶を受け取るためというのもありましょうが。

父親に強烈な否定をされたから、その穴を埋めるように導師や、司教、神に承認を求める。

 

そんな彼が心から慕っていたアリンガローサ司教を撃ち殺してしまう(と思い込む)あの結末は、もっとどうにかならなかったものか。

シラス、可哀想すぎる。

シラスに殺されたソニエールやシスター達が物語り上の仕掛けとしてしか処理できなかったためシラス擁護になりすぎているような感はありますが、あの天を仰いで喘ぐ姿を見たらやめてやれよ!!!!!!!神様!!!!!おい!!!!!ダン・ブラウン!!!!!という気持ちにもなる。

生まれてこの方安らぎなんて訪れたことなさそう。司教の「お前は天使だ」をきっかけとした危うい自己承認も最後には崩壊してしまい、自分で自分を罵って死んでいく。

 

最後、シラスは拳銃を警察に向けて撃たれますね。

普通あんなに絶望して手に拳銃を握っていたら、それで自分を撃ち殺しますよね。

それをせずに警察へ向けることで死因を自分ではなく他人にかぶせてまで死にたかったのか。シラス。

自己承認が崩壊したらその源となっていた宗教は信じられなくなるものじゃないのかと私は思います。やっぱり神なんていなかった。的な。逆に神を信じていたら、自己承認は維持されますから、ショックで死にたくなったとしても最後に自分を罵ったりはしないはずなわけで。

それなのに、キリスト教の教えに反して自分で自分を殺すことはできなかった。

 

シラスはもう十二分に暴れ回ってますから、アリンガローサの思惑が叶ったとしてもその後幸せになることは許されないキャラだと思います。めでたしめでたしは一生訪れず、この後も危うい自己承認を他人と神に頼ることでかろうじて生きて行くだけだったと。

それでも、あの最期はあんまりに、可哀想で。

しかも司教はちゃっかり生きてるので、天国に行こうと地獄に行こうと会えないわけですねシラスは。なんだよ。ひとりぼっちかよ!!!

ソニエール他殺しを聖戦の一部として精算して、信じた主のもとに召されたとしてもそこにアリンガローサがいないのでは、シラスはもう、そこにいる意味は見出せない。

悲しすぎる。

 

そんなわけでダ・ヴィンチ・コードはシラスという存在によって私のなかで名作となったのです。

シラスはポール・ベタニーの美しさと熱演と、吹き替えcv加瀬康之さんのイケボと熱演と、あまりに悲しすぎる設定によって大きな引き裂き傷を私の胸に残してくれました。しばらくシラスロストで何もろくに手につかなかったくらいに。

 

私はこれからも、既に謎の解き明かされた謎解き冒険ミステリー『ダ・ヴィンチ・コード』を何度でも見続けるでしょう。シラスのもうちょっとマシな最期を祈って。

そしてその度にシラスロストに打ちのめされることでしょう。ああ、つらい。